マエストロ・ジウジアーロは、私に生きる道を示してくれました。
私は、天才ジウジアーロから多くのことを学びました。ときめき、憧れ、感動をいただきました。そしてクルマやものに託された素晴らしいセンスを少しでも継承し次世代の人たちに伝えていきたいと考えています。
私が進行役をつとめさせていただきました2013年新型ゴルフ東京発表会でのトークショー。マエストロ・ジウジアーロは言いました。
「日本には伝統的に美しいものがたくさんあります。ファッション、建築、文化、ライフスタイル、これらは欧州からは憧れを持って迎えられています。それだけ に、美しさとは何かと日本人の和田さんから聞かれると困惑してしまうほどです。美という概念が外から来たものなので、分からなくなるのかもしれません。し かし、美しさとはあなた方の中にこそあるのだと思います。」
日本のカーデザインの実情を知りながら、それでもその美の可能性と日本のデザインの役割を示唆した優しい言葉。それはまさしく私が待っていた最大限の言葉でした。
私が美大に通い始め、まだデザインのデの字も理解していない頃に偶然手にした一冊の本。それは『カースタイリング』というデザイン専門誌で、ジョルジェット・ジウジアーロの特集号でした。私をカーデザイナーの道へと導いてくれた、マエストロの存在。
その後、私はアウディでヴァルター・デ・シルバと出会うことになります。上司でありながら、時にコンペティターであり、またある時は父親の様な存在。シングルフレームをまとったA6(C6)から始まり、ショーカーPikes Peak Quattro、Q7,A5等多くのクルマを共に創造した同志でもありました。
そのイベントでは、神様がその二人に同時に会わせてくれたのです。
発表会前夜、そんな二人とVW Japan幹部数名での食事会がありました。私は、30年間大切にしている『カースタイリング・ジウジアーロ特集号』を持参。ジウジアーロは「オー、懐かしいな。」と言ってその本を見ながらこう言いました。
「これまで多くのデザインを手がけてきた。ある時はエゴイスティックにもなった。多くの研究車(プロトタイプ)もデザインしてきたが、最も大切なことはデザインしたものが人から愛されることだ。人のこころや暮らしの中の一部になることだ。」
長年の憧れであり尊敬する人が目の前にいて、自分に向かって語ってくれている。 一言ひとことを大切に受け止め、宝物にして精進しようと思いました。
新型ゴルフ発表会会場に集まっていた、これからデザイナーを目指す若者に対しては、ジウジアーロはこんな言葉も残してくれました。日本の自動車会社の経営、デザインマネージメントをする立場の方々にも是非考えていただきたいと思います。
「私たちはエゴイストです。"人とは違ったものを作りたい"という思いを常に持っています。しかし、目に見える大きな変化や、インパクトがあるものを作っても、長く続かない。デザインはじっくりと愛されなければ意味がないのです。」
天才の姿勢、そして言葉は、常にとても謙虚でした。 彼がいなかったら、今の私はいなかったと思います。 ありがとう、マエストロ・ジウジアーロ。 またお会いできる日を楽しみに。(小学館 BOOK PEOPLE | DESIGN CLINIC 038 | by SWdesign | 2013 より)
いすゞピアッツァの微笑み
最近、都内のある駐車場でピカピカのいすゞピアッツァを見かけました。私がそのクルマをはじめて見たのは美大生になって最初の夏の事だったと思います。その瞬間に感じたときめきは今でもよく覚えています。
それは兄とシェアしていたCVCC、中古のホンダシビックがどうにもこうにも調子が悪くなり、中古のGOLFを見にヤナセに出かけた時でした。せっかくなので新型車を見ようとヤナセのショールームに入ったとき、衝撃が走りました。そこにおいてあったクルマ、それが販売開始されたばかりのいすずピアッツァだったのです。
私がカーデザイナーとなるきっかけをつくってくれた天才カーデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロの作品です。1979年、117クーペ(これもまたのジウジアーロの作品)の後継として開発された、史上最強のいすゞとも言えるモデル。この時代のいすゞは、ジウジアーロと共にデザインゴールデンタイムをつくっていました。
ピアッツァは、1973年3月ジュネーブモーターショーにまさしくクルマのクラブのエースとして登場したショーカー、『アッソ・デ・フィオーリ』のデザインを受け継いだモデルとして生産されました。いつの時代でもジウジアーロの作品は、カーデザイン界にあって革新的なムーブメントを生み出していました。
空力時代のエアロボディ。ジウジアーロのデザインはその空力特性を生かす為にサーファイスのフラッシュ化が計られ、また全体フォルムとしてのプランビューの取り方が絶妙です。簡単にいうと、とても丸く心地よいウエッジをもたらしています。当時としてはcd0.30という記録的な数値をもたらしたアウディCD100にも共通するデザイン言語を持っていました。
この時代、ジウジアーロ率いるイタルデザインは世界のそのほとんどの自動車メーカーからプロジェクトの依頼を受けていたといいます。世に出た数もものすごいのですが、世に出なかったモデルの数も含めたらいったいどのくらいの数のデザインをしていたのでしょうか。実は日産時代に、私自身もそのマエストロ、ジウジアーロに会った事がありました。
今思えば、近代・モダンエイジと言われたその時代、ジウジアーロは一人独走し、多くのカーデザイナーにとっての規範をつくったように思えます。
「新しさ」を追ったモダンエイジデザインの王様でした。しかし、時代と共にデザイナーの「新しさ」の追求は、単なる「目新しさ」の追求へと変わって行きました。次にくる時代の真の「新しさ」とは、いったいどのようなものなのか。その意味では,今のカーデザインは未だ近代を越えていない 。結局、時代と共にデザイナーは変われども自動車会社は何も変われていないのかもしれない。
自然や暮らしとの協調性が求められる時代に、これからのカーデザイナーの使命とは?
駐車場の片隅で今の時代のクルマを見ながら、ピアッツァは微笑んでいるように感じられました。(小学館 BOOK PEOPLE | DESIGN CLINIC 031 | by SWdesign | 2012 より)
いすゞ ピアッツァ(1981)
ジウジアーロといすゞの関係は117クーペ(1966)に始まり数多くの名車を生み出した。その典型がピアッツァである。1979年のジュネーブショーで発表されたイタルデザイン社の開発したプロトタイプカー"Asso di Fiori”を元に展開されている。ジュージアーロのデザインを見事に生産まで仕立てたいすゞのポテンシャルは素晴らしかった。そのデザインはその後の世界の量販車に影響を与えたとも言われる。
端正な美しいシルエット。明るい未来がそこにはあった。「本当の新しさ」とは、天才のみが創出できるもの。
いすゞ 117coupe(1968)
カロッツェリア・ギア、チーフデザイナー時代のジュージアーロの作品。流麗なデザインを備えた4座クーペであり、1970年代の日本車を代表する傑作の一つに数えられる。モダンエイジのジュージアーロの作品もいいが、古典的な彼の作品にはある独特な情緒感が漂う。とにかくプロポーション感覚、バランスに富んでいる。彼は、このプロジェクトの成功の後、日本人実業家・宮川秀之氏らとイタルデザインを創設することになる。量産指導はイタルデザインの初仕事となり、最初期のプロトタイプであるギア/いすゞ117スポルトは1966年3月のジュネーヴ・モーターショーで発表され、同ショーのコンクール・デレガンスを獲得した。その後イタリアで開催された国際自動車デザイン・ビエンナーレに出品され、名誉大賞を受賞している。(一部Wikipedia)
Lancia Medusa(1980)
メデューサは、“パンダ”や”メガガンマ”とは異なった方向を示唆する低重心、軽量、快適性を追求したイタルデザインが1980年トリノモーターショーで発表したコンセプトカー。ラテン語で”くらげ”を意味するように有機的なボディ断面を有する。若かった私自身、大いに魅了させられたデザインである。サルーンとして新しい時代のセダン像を提案。ロングホイールベース、極端に長いフロントオーバーハング、そして短いリアオーバーハングなどジュージアーロならではの美しいプロポーションを創出している。
Lancia Megagamma(1978)&AlfaRomeo New York Tax Cab Concept(New York Art Museum (1976)
低重心のクルマの時代に、空力特製に優れかつ乗降性、居住性に富んだコンセプトを1970年後半にジウジアーロは提案している。1976年発表のプロトタイプ、ニューヨーク・タクシー・キャブのモデルは、ニューヨーク近代美術館主催の参加コンセプト作品となった。メガガンバは、初代日産プレーリーの基本コンセプトとして後に生産されることになる。80年代の日本車を知る人にとってはなかなか面白いストーリーである。
Lancia Megagamma(1978)
Alfa Romeo New York Cab Concept(1976)
ジュージアーロは、クルマをプロダクトデザイン化する天才であった。機能と理性にかなったデザイン構築が、カーデザインの新境地を与えた。それゆえにジャンルを超えたデザイナーのお手本になったのだと思う。
Italdesign CAPSURA Concept | Drawing(1982)
当時のイタルデザインのレンダリング。ドラマ仕立てであり、それはシドミードとは違ったヨーロピアンな世界観を漂わせていた。
Italdesign CAPSURA Concept(1982)
ジュージアーロはカーデザインとプロダクトデザインを見事に結びつけた唯一のデザイナーであろう。機能的、合理的でありかつ何か人を納得させる魔法のようなものを感じる。
Italdesign CAPSURA Concept(1982)
私が美大2年生の時のジュージアーロの作品。スタイリングにとらわれない製造からの提案こそが本当のデザインの意味であると教えてくれた。当時の低重心カースタイリングの時代に彼は多くの居住性、乗降性の高いクルマを提案した。そしてそれは斬新でもありその知性に富んだ合理的なデザインを美しくまとめあげた。それは奇しくもこの日本ミニバン時代の幕開けであったのかもしれない。ジュージアーロはいつも特別な提案をする特別なデザイナーである。
そんなジウジアーロが、最も敬意を表するクルマは?
Citroen DS19(1955)|若き日の巨匠を魅了したクルマ | シトロエンDS19
かつてジュージアーロそしてVWデザインディレクター・ワルター・デ・シルバの両氏に質問をしたことがある。
「お二人が、いままで一番強く影響を受けたクルマはなんですか。」
事前打ち合わせはなく、いきなりの質問でした。
しかし2人からは、全く躊躇することなく同じ答えが返ってきました。
「シトロエンDS19だよ。」
実は、ヴァルターがこのクルマを好きなことはアウディ時代から知っていたのですがジウジアーロも同意見とは驚きました。
若き日の巨匠を魅了し、60年近い年月が経ってもいまなお輝きを失わないクルマ。 ジュージアーロ17歳の時の衝撃。ワルターは加えて言った『このクルマは今現在も私にとっての最大の研究対象車』であると。極めてエポックメイキングなクルマであるが、とても建築的でかつそのシンプルさはとてもプロダクトデザイン的。2人の巨匠が敬意を表するポイントはそこにあるのかもしれない。
シトロエンDS19は、1955年のパリサロンで発表されました。
デザイナーは彫刻家でもあり、2CVのデザインも手がけたイタリア人、フラミニオ・ベルトーニ。空力を意識し、流線型を多用したDSのデザインは「宇宙船」との評を得るほど同時代の他の自動車とはかけ離れていました。ラジエータグリルを廃し、 ヘッドライトを半埋め込み式にし、さらにフロントバンパーに大きな曲線を描くことで低くとがった鼻先、窓枠のないサッシュレスドア、ボディで覆われた後輪。
デザインには時代を切り開くイノベーション(革新)が必要です。しかしイノベーションという言葉の持つ真の「新しさ」と、近年のカーデザインに多く見られる、目先の表面的な変化を求めた結果の「新しさ」とは全く違うものであることを、今日のデザイナーは認識しなければなりません。
真の「新しさ」とは?そのヒントは、ヴァルターのこの言葉の中にあります。
「デザインとは、さまざまな訓練であり学問です。そして真のデザインとは真の勇気なのです。DS19は今でも私の研究の対象であり、勉強の素材です。」
わずか数年でモデルチェンジされ、あっという間に忘れ去られてしまうクルマが多い中、私は「時の試練」に耐えて人に長く愛されるクルマつくりを心がけていきたいと思います。(小学館 BOOK PEOPLE | DESIGN FUTURE 047 | by SWdesign | 2013 より)
1955年10月5日、フランス最大のモーター・ショーであるパリ・サロンで発表されたDSは、「異次元の自動車」とのうわさが立ち、公開直後15分の間に743件の受注、その日一日で1万2,000件余りのバックオーダーが押し寄せた。ボディデザインを手がけたのは、シトロエンの社内デザイナーで、トラクシオン・アヴァンや2CVのデザインも行ったイタリア人のフラミニオ・ベルトーニである。ボディ部分は応力を負担せず、最低限の強度骨格のみを構築して、その外側にパネルを装着する「スケルトン構造」としている。このあたりの手法は、当時まだ梯子形フレームを用い、ボディを別構造としていたアメリカ車などに似ているが、軽量化と剛性確保は十分に配慮されている。ボディパネルは部位により硬軟使い分けられ、ボンネットフードはアルミ製である。(一部Wikipediaより)
Citroen DS(1955)
1955年から1975年までの約20年間、フランス車の主幹軸を担うモデルとして第一線にあり続け、改良を繰り返しながら(派生形の「ID」なども含めた)合計で、約145万5,000台(うちフランス本国生産は約133万台)が製造された。(Wikipediaより)
Citroen DS(1955)
当時のパリサロン、シトロエンブースの様子。人の熱気に満ち溢れている。まさしく人が創ったUFOであった。
Citroen DS19(1956)
ティアドロップ型のボディフォルムは、当時の空力特製を狙たものであることが考えられる。現代のカーデザインの空力の考え方からすると問題も多いところだが、ロングホイールベース、ショートオーバーハングなどよく見るとジュージアーロのメデューサにも共通するバランスを持つことがわかる。フロントボリュームからリアに流れるように下がっていくフォルムは、その機能的な考察以上に情緒的である。我々カーデザイナーは、機能と美しさの交わる領域を常に探し求めている。
Maserati Boomerang コンセプトモデル(1971)
ジュージアーロの70年代コンセプトモデルの代表格、マセラッティ・ブーメラン。直線的でエッジの効いたデザインは一世風靡した。
Maserati Boomerang(1971)
1971年にトリノオートサロンで発表した2ドアクーペのコンセプトカー。ちょうどこの2年前にキューブリックの『2001年宇宙の旅」が公開された。未来がまさしく未来の時代であった。
Maserati Boomerang/ Interior design(1971)
このハンドルデザイン、きています。この時代、未来は夢に溢れていた。
Alfa Romeo Carabo(1968)
ジュージアーロが抜けた後のベルトーネデザインを指揮した鬼才マルチェロ・ガンディーニの作品。ロータス・エスプリ、ランチア・ストラトス、ランボルギーニ・ミウラやカウンタックといった、70年代に一世を風靡したすべてのウェッジシェイプ・スーパーカーの原点となったと言われる。1968年のパリ・サロンに出品されたベルトーネのコンセプトカー。スーパーカーデザインの新しい方向性を示した画期的なモデルとして歴史にその名を刻む。1台のみが生産された。ジュージアーロの後のスーパーカーにも大きく影響を与えたと考えられる。
Lamborghini Miura(1966)
1965年トリノ・オートショーで発表された。当時ベルトーネに就任したばかりのマルチェロ・ガンディーニによる流麗なスタイリング。この後継車が、同じくガンディーニよるスーパーカー・カウンタックというシナリオになる。美しさとこのフロントの持つ愛くるしさ、それはモダンと古典の絶妙なバランスともいえる。現在のカーデザインにも多く観ることのできるテーマである。ジュージアーロそしてガンディーニと2人の天才カーデザイナーを生み出したベルトーネの功績は大きい。1960年代はクラフトとオートメーションの双方の良さがうまくデザインに反映された時代であったと思う。今の時代に失われつつある『人間味』がある。
Lamborghini Miura Concept (2011)
ミウラ40周年にあたる2006年、新たなミウラとして2006ミウラ・コンセプトがデトロイトショーで発表された。当時、アウディの上司であったヴァルター・デ・シルバのオーガナイズでデザインされたモデルには、ヴァルターのガンディーニに対する愛のようなものを感じた。モデルは、ショーの前にランボスタジオからアウディデザインスタジオに運ばれプレゼンテーションが実施された。私も参加した。ヴァルターは明らかにオリジナルに対する敬意を抱いていた。彼のプレゼンテーションの言葉は、クルマを超えたイタリアへの愛を感じたのである。ヴァルターにとっては、ミウラは故郷イタリアそのものだったのだと思う。
Lamborghini Miura Concept (2011)
ミウラ40周年にあたる2006年、新たなミウラとして2006ミウラ・コンセプトがデトロイトショーで発表された。当時、アウディの上司であったヴァルター・デ・シルバのオーガナイズでデザインされたモデルには、ヴァルターの強い思いが秘められていた。モデルは、ショーの前にモデナ・ランボスタジオからアウディデザインスタジオに運ばれプレゼンテーションが実施された。私も参加した。ヴァルターは明らかにオリジナルに対する敬意を抱いていた。そして彼のプレゼンテーションの言葉には、クルマを超えたイタリアへの愛を感じたのである。ヴァルターにとって、ミウラは故郷イタリアそのものだったのだと思う。
Lamborghini Miura Concept (2011)
だからクルマは愛なのである。カーデザイナーがもし他のプロダクトデザイナーと違いがあるとすれば、その愛の深さなのかもしれない。
愛を持ってデザインしていますか?
Lamborghini Miura(1966)
異形ランプのない時代に、まつ毛をつけた何とも愛らしくユニークなお目目のデザイン。品のない仮装デザインの時代とは比べものにならない人間味ある品格のデザイン。我々が学ばなければいけないことは沢山ある。
Lamborghini Miura(1966)
ミウラオープン。プランビューをみるとフロントとリアのデザインのプラン構築の仕方が異なることが観える。
Lamborghini Marzal Concept of Bertone(1966) | 未来のデザインは心地良いか?
1967年イタリア。カロッツェリア全盛期のベルトーネから一台のスーパーカーコンセプトが登場しました。その名はMarzal。あまり知られていないクルマですが、これもMarcello Gandiniの作品。
当時の未来感溢れるデザインは、モダンエイジを突き抜ける勢いを感じさせます。そこには、真摯に未来を見つめる、ある種『品格』の様なものが感じられます。ガガーリンが、"地球は青かった。"と言った時代。1969年にはアポロ計画が実施された世の中のムードがよく伝わって来ます。
あの時代、モダンエイジがもたらしたものが本当に良かったのか、悪かったのか。今となっては懐疑的とも言えますが、そこには明るい未来が確実に存在していました。人類の果てしない進化を信じ、このMarzalも誕生したに違いありません。
疑わない志が、Pureなものを創りだします。
近い将来にやってくるであろうEV時代到来に向けて、いま、新たな未来を予感させるコンセプトカーが次々に発表されています。本家ドイツの名門ブランド達も、未来感がプンプンするデザインを引っさげて「それ急げ、流れに乗り遅れるな」と鼻息が荒くなっています。しかしこのようにつくられる未来のかたち、未来のブランディング、未来のビジネスは、どこか汚れているように感じるのは私だけでしょうか?
無理矢理デザインされ、Pureとは正反対の邪気に満ちあふれた未来のクルマたち。
いつから未来は明るくなくなったのでしょうか?
なぜ昔の未来は心地よく感じるのでしょうか?
「天才だけが、未来を変えられる」 1967年に発表されたMarzalを観ながら、そんなことを考えた。 (小学館 BOOK PEOPLE | DESIGN FUTURE 048 | by SWdesign | 2013 より)
受け継ぐ勇気
愛を持ってデザインしていますか?
「私たちはエゴイストです。"人とは違ったものを作りたい"という思いを常に持っています。
しかし、目に見える大きな変化や、インパクトがあるものを作っても、長く続かない。
デザインはじっくりと愛されなければ意味がないのです。」
(by G.ジュージアーロ)